はねづる鉄道祭②
- 鉄道研究部
こんにちは。
前回のブログに引き続いて、今回も「はねづる鉄道祭」の様子をお伝えします!
この日降り立ったのは真鶴駅。
今では珍しい木造駅舎や、国鉄時代から使われている駅名標が何とも言えないレトロさを醸し出しています。
そんな真鶴駅から徒歩10分ほどで到着したのが、真鶴町民センター。
こちらがはねづる鉄道祭の第3部「まなづる鉄道研究発表会」の会場です。
会場内には真鶴の鉄道にまつわる様々な資料が展示されていました。
資料の内容もさることながら、展示の仕方についても学ぶことばかりでした。
これは来年の立花祭に向けても大いに参考になります。
こちらが今日のメインスペース。
昨日と同様に模型の準備をして、開場に向け準備を整えます。
お客さんも入ってきました。
いよいよですね・・・!
なお、今日は立花の鉄研の他に、足柄高校の歴史研究部、小田原鉄道歴史研究会の方々と合同での発表となります。
それぞれ深い研究が感じられる素晴らしい発表で、ただただ感嘆するばかりでした。
特に1年生は、来年度の高文祭に向けて大いに刺激となったことでしょう。
立花の鉄研からは2名が発表させて頂きました。
まずはY君による「丹那トンネルの歴史」です。
前回のブログで、東海道本線はかつて現・御殿場線のルートを走っていたと申し上げました。
この御殿場線は勾配が急であることから別ルートの必要性が叫ばれていたのですが、その際には丹那盆地を貫く長大なトンネルの建設が必要でした。
しかしながら工事は順風満帆とはいかず、様々な試練が襲い掛かります。
関東大震災の被害を受けたり、
トンネル内から大量の出水が起こってしまったりなどし、多くの殉職者も出すこととなってしまいました。
こうした苦難を乗り越えて1934年に丹那トンネルは完成、東海道本線も新ルートへと切り替えられることとなります。
東海道本線が丹那トンネルという大工事を通じ、紆余曲折を経て現在の姿へと至るまでの様子を、とてもわかりやすく説明してくれました。
続いてはK君による「時代を懸ける踊り子号」です。
1981年に、同区間を走る「特急あまぎ」「急行伊豆」を統合する形で「特急踊り子」は誕生しました。
踊り子号と言えば、スライドの左の写真にあるような185系車両を使ったもののイメージが強いことでしょう。
しかし、かつては電気機関車が客車を牽引したり、183系車両を用いて運行されたこともありました。
185系踊り子は今ではE257系へと置き換わり、新たな時代へと歩みを進めています。
またこれまでに「踊り子」の名を冠するバラエティに富んだ列車が運行され、昭和・平成・令和の3つの時代を駆け抜けてきました。
そんな踊り子号の歩みを、多くの写真を用いながら上手にまとめてくれました。
・・・と、それぞれの発表を楽しんでいるうちに、2日目もあっという間に閉幕です。
なお、この2日間で4人のOBが顔を出してくれました。
いつもありがとう!
学年を越えた強い絆があるのは、鉄研の素晴らしい財産です。
最後に現役部員とOBで集合写真を。
2日間お疲れさまでした!
最後に、5月の下曽我駅に引き続き、ボランティアのお声かけをくださった小田原鉄道歴史研究会の皆様には心から感謝申し上げます。
部員たちが日頃から取り組んでいることを生かす機会を頂けたのは、本当に有難く思っております。
また、様々な年齢層の方々と鉄道を通じて交流することができたり、それぞれの駅の100周年という貴重な場に同席させて頂けたことは、大きな学びとなりました。
今後とも変わらぬお付き合いをして頂けたら嬉しく思います。
この度は本当にありがとうございました!