卒業アルバムの写真撮影
- 卓球部
先日、東京写真館のカメラマンさんにお願いして、今年度の卒業アルバムの部活動写真を撮影しました。時間にして僅か10分、既に引退した4名も久々に卓球場に戻ってきました。男子7人、女子5人。2年前はもう少し多かったような・・・(笑)
この学年が入学してきた2年前は新型コロナウイルス感染症の影響をモロに受け、関東予選、総体県予選が揃って中止となり、青春真っただ中の高校生が未知の脅威に翻弄される姿は、教員として見ていて非常に辛いものがありました。一方で、長い休校期間が明け、久々の卓球に打ち込む姿は、「卓球ができる喜び」を噛み締めているようで、こちらも元気をもらいました。
「関東に行くために、卓球だけでなくそれ以外の部分も厳しく指導します。練習はきついです。卓球バカにならず、勉強も頑張りなさい。」入部説明会で厳しめに話をし、入部後もいろいろなことを口ずっぱく指導しました。それでもついていくと決心した子たちです。2年間で見違えるほど大人になった者も大勢います。
男子は質・量ともに1つ上の世代に水をあけられました。関東出場を果たした偉大な先輩たちについていけず、杉島こそ1年の時からレギュラーをつかみ取って関東に行きましたが、それ以外で県レベルに到達していたのは中学時代にそれなりに勝っていた髙橋秀くらいで、あとはすぐに後輩に抜かされていきました。私が声を上げて怒ることも多かった印象でしたが、それでも最後までやり抜いてくれた7人でした。
女子の方は大エースの宮本姉が抜けた穴を埋めるために大幅な補強を行った、いわば「強化元年」でした。実績十分の宮本妹と、同じクラブチームの古賀(それともう1人いたが、いなくなった)が軸になると思いきや、さらに人数が増え、「競争」が生まれました。当時1年生で挑んだ新人戦は6位、関東まであと1勝というところで市立橘に敗北しました。2年になってからは、強い立花に憧れて入部してきた後輩4人の勢いも強く、さらに競争が激化。その中で実力を付けていってくれたため、新人戦では相原に勝利し、関東出場。宮本だけでなく、古賀、佐藤萌も県個人入賞。そしてラストイヤーで挑んだ関東予選で悲願のベスト4。立花学園としての歴史だけでなく、神奈川高校卓球の勢力図をも変えてくれました。
敢為邁往(かんいまいおう)・・・「どんな困難にもくじけることなく、全力で突き進んでいく様」
部旗に掲げたこの言葉は、まさに彼らの2年間を象徴しているようです。
県大会での表彰は3年間で12回、関東大会には男女合わせて3回出場、全国選抜1回出場。少し前では夢物語だったレベルです。1つ上の学年と合わせて、「当たり前のレベル」を大幅に上げてくれた学年でした。
男子は渡邉キャプテンが実力ではなく、声掛けと姿勢で引っ張ってくれました。
女子の方も(おそらく初めて女子で部長を務めた)小澤キャプテンがチームを牽引。
※二梃木はまだ引退しません。
女子卓球部伝統(?)のカンチョ―
人数が集まると大体これをやって、写真を撮れと言ってきます。どうせ卒業式でもやるんでしょ(笑)
ということで、長いようであっという間だった2年間でしたが、来週で全員引退です。
最後の1秒まで立花らしく、笑顔で、そして全力で!!
それでは、また。